■ あることばを「○○語」と呼ぶか「○○方言」と呼ぶかに基準はありますか?
■ 標準語がくずれて方言になったのですか?
■ 首都圏出身なので方言が身近に感じられません

あることばを「○○語」と呼ぶか「○○方言」と呼ぶかに基準はありますか?
  明確な基準はありません。例えば、沖縄のことばは「沖縄方言」ということもあれば「沖縄語」ということもあります。ここには、政治的な事情もからんできます。

  沖縄が米軍占領下にあり、日本への復帰運動をしていた頃は、「沖縄方言」ということが多かったらしいです。「日本語の沖縄方言」と位置づけたほうが、日本への復帰に有利だったためです。「沖縄語」などというと、「日本とは別の国だぞ」と主張しているように見えてしまいます。
  一方、最近の研究者は「沖縄語(琉球語)」と呼ぶことが増えてきたと思います。伝統的な沖縄のことばと本土のことばは、互いに話が通じないほどに違うことばですから、「沖縄語」と呼ぶのも自然なことでしょう。それに、沖縄の独自性を積極的に主張することが、時代の流れにもあっている気がします。

  そんなわけで、「○○語」と呼ぶか「○○方言」と呼ぶかは、政治的な問題や時代の流れと関連しており、明確な基準を決めることができません。国語だけでなく、社会の勉強もしないといけないわけです。


標準語がくずれて方言になったのですか?
  もともと日本には各地にたくさんの方言があって、そのうち東京の方言が歴史的な事情で標準語に選ばれただけです。ですから、標準語がくずれて方言になったわけではありません。方言研究の入門書で見かけた文章を引用してみます。
方言は標準語のくずれたものではありません。方言には方言のルールがあります。標準語の枠をはずしてみてください。そのとききっと、新しいことばの世界が見えてくると思います。‥‥井上史雄・木部暢子(2016)『はじめて学ぶ方言学』ミネルヴァ書房(奥付ページ、木部暢子先生のコメント)より

  ためしに、標準語のほうが方言より「くずれている」例を挙げてみましょう。下に挙げるのは標準語の「折れる」「入れる」「くれる」の活用です。
否定過去仮定命令
折れる折れない折れた折れれば折れろ
入れる入れない入れた入れれば入れろ
くれるくれないくれたくれればくれ
「〜れる」で終わる動詞の命令形は「折れろ」「入れろ」「暴れろ」「忘れろ」のように規則的に「〜れろ」になりますが、「くれる」の命令形だけ「くれ」というくずれた形になっています。本来なら「くれろ」と言うべきです。
  「くれろ 方言」で検索してみると、東北や中部地方、九州の方言では「くれろ」という命令形が実際に使われているのがわかります。「もうやめてくれろ」なんて言うと田舎くさく感じられますが、むしろこれが規則どおりの言い方で、実は標準語の「やめてくれ」のほうがくずれているのです。

  つまり、どんなことばにも「くずれた」部分があって、標準語だけが完璧!‥‥というわけでは、まったくないのです。世間的に「標準語」とされることばが、言語学的にも「標準」ということではありません。


首都圏出身なので方言が身近に感じられません
  研究上、「方言」とは「その地域で話されることば」を指す概念であり、「標準語と異なることば」を差すわけではありません。標準語と似ていても、その地域で話されることばは方言です。首都圏の話しことばを「首都圏方言」といいます。「首都圏方言」で検索してみると、いろいろな情報が見つかるでしょう。
  国立国語研究所の調査をまとめた、下のようなサイトもあります。例えば、「列に割り込むこと」を「横入り」というのは神奈川県、「ズル込み」というのは埼玉県に多く見られます。埼玉県人がよく行く上野・池袋エリアと、神奈川県人がよく行く新宿・渋谷エリアの間に方言の境界(?)があるかもしれません。

【首都圏の言語の実態と動向に関する研究】 http://pj.ninjal.ac.jp/shutoken/